最高裁判所第一小法廷 昭和55年(行ツ)64号 判決 1981年4月23日
大阪府吹田市江坂町四丁目二六番一二号
(旧住所 大阪府豊中市庄内西四丁目一九番四号)
上告人
服部二三男
右訴訟代理人弁護士
山本寅之助
芝康司
亀井左取
森本輝男
藤井勲
山本彼一郎
大阪府池田市城南町二丁目一番八号
被上告人
豊能税務署長 奥野芳男
右指定代理人
山田雅夫
右当事者間の大阪高等裁判所昭和五四年(行コ)第三七号所得税更正処分取消請求事件について、同裁判所が昭和五五年二月二九日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人藤井勲の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 団藤重光 裁判官 藤崎里 裁判官 本山亨 裁判官 中村治朗 裁判官 谷口正孝)
(昭和五五年(行ツ)第六四号 上告人 服部二三男)
上告代理人藤井勲の上告理由
本件第一審判決およびこれを引用した第二審判決(以下単に原判決という)は、本件金員のうち三〇万円を超える部分を所得税法九条一項二一号に該当しないと判断したが、これは、同法の解釈、適用を誤ったものであり、かつそれが判決の結果に影響を及ぼすものであることは明白である。
第一 本件金員の性質について
一 原判決は、本件金員支払の趣旨について、損害補償の目的と「マンション建設について原告の承諾を得ることの対価とする目的」(以下承諾料という)の双方であるとした(理由二、(三))うえ、所得税法九条一項二一号で非課税となる部分は前者のみでその額は三〇万円を超えないとした。
しかし、この論理は、まず承諾料を損害補償とは別の性質のものとして所得税法の非課税対象外とした点に問題がある。
原判決は右承諾料を持ち出すに当り、その要件、効果の厳密な検討を怠りその結果後の論理の運びもまことにずさんなものとなっているのであるが、いったい、右承諾料とは、どのような要件のあるとき誰が誰に請求でき、それが支払われないときは、どのような法的効果が発生するのであろうか。
本件においてこれをみると、マンション建設により環境上悪影響を受ける者が、マンションを建てようとする者に対し請求するのであって、それが支払われなければ、法的には建設差止を求める権利、あるいは損害賠償請求権が残るだけでほかには何の法的効果も発生しない。
原判決は、この差止請求権不行使に対応する承諾料と、損害賠償請求権を別物と考えているようであるが、それは明らかな誤りであり、承諾料は、損害賠償額の事前の支払以外の何物でもない。
何故なら、本件の如き場合において、上告人の事前差止請求権に相応の保護(それは必ずしも差止の認容にまではいたらなくても、行政指導その他の保護も考えられる)が加えられるのは巨大マンションの建設により上告人らに無視できない被害、損害が発生することが予測されるからであって、それ以外の理由は全く存在しないからである。
つまり、差止請求権の保護の理由に上告人らの損害 生以外の理由があってはじめて、承諾料は損害賠償の事前支払以外の性質も考えられるのである。
従って、承諾料であるから、所得税法九条一項二一号に該当しないという論理は全く成立しないのである。
二 原判決は、本件契約成立過程での各当事者の思惑について、「訴外会社は、法律上はマンション建設について三一〇万円もの損害賠償義務はないが、(早期かつ円滑にマンションを建設したいため)原告らの承諾を受けるためには右金員を支払うのはやむを得ないと考え」他方上告人らは、マンション建設による各種迷惑を「金銭に見積ると多額になると考えていた」としたうえ、「授受された三一〇万円の中にはマンション建設の承諾料も含まれていたのである。したがって、当事者の意思としてもその全額が損害とされたわけではない。」との判断に到達した。
承諾料を深く検討もせず損害賠償とは別物であるとしている点の誤りは右に述べたとおりであるが、仮にこの趣旨が訴外会社の内心の意思により、本件金員のなかに損害賠償以外のものが含まれているとするものであるなら、それは契約の解釈方法につき、根本的な誤りをおかしたことになる。
つまり、本件金員の趣旨は、両当事者の表示される意思によれば、甲第七号証のとおり「マンション建設のために生ずる環境権の侵害、その他予想された公害に対する補償金」であってそれ以外の何物でもない。
いかに訴外会社がそのような内心の思惑を持っていようと、契約の趣旨はそのようなこととは関係なく表示された意思により決定さるべきものだからである。民法上の心裡留保の法意はまさにそのようなことなのである。
その契約が両当事者間で何ら裏取引もなく対等な交渉によりなされたものである限り、後日第三者が客観的にみて、当事者の決めた右金額が高すぎるとしてもそれだけではその差額を別の性質のものであるとすることはできない。
たとえば、不動産の取引を例にとってみても、当事者が売り急げば買い叩かれるであろうし、反対なら高くなるであろう。
競売手続などでは、時価の半分でも三分の一でも取引される例は少ない。
このような場合も、その差額について一時所得などの課税関係が生じないことは見やすい道理である。
私的自治の原則とはそういうものなのである。
その合理性の根拠は、対立する対等な立場にある当事者の意思の合致をそのまま認め法的保護を与えることが私的正義に最も近いとの思想によることはいうまでもない。
もちろん、例外はある。当事者の意思の合致が存在しない場合(錯誤)や、かくされた真意がある場合(通謀虚偽表示)あるいは対立する対等な立場を失った場合(公序良俗違反)などである。
しかし、本件においてそのような要素は一切ない。
我国税法もこれら民法上の基本原則の上に立っていることはいうまでもなく、当事者間の契約あるいはそれに基づく金員の趣旨も、この基本的法理を無視することはできないのである。
三 要するに、本件金員は、両当事者のまじめな交渉により損害賠償と明示して決められ支払われたものであった。
もちろん交渉であるから、内心の意思としては払う方は高いと思い、もらう方は安いと思う。しかし、そんな内心の意思が明示された契約の趣旨をかえることはあり得ない。
法的にはあくまでそれは損害賠償として扱わねばならないのである。
第二 本件金額の当否について
一 原判決は所得税法九条一項二一号の法意として
「当事者間で損害賠償のためと明確に合意されて支払われた場合であっても、……非課税になる支払金の範囲は当事者が合意して支払った金額の全額でなく、客観的に発生し、または発生が見込まれる損害の限度に限られる」と述べた。
上告人も抽象的な論理としてはこれに異をはさむつもりはない。客観的な損害の限度を超えたものは、それは損害賠償と合意されていてもその合意は合理的なものではなく、何らかの別の意図がかくされているにちがいないからである。
しかし、右にいう客観的な損害額は一体どうやって認定すべきであろうか。
たとえば自動車のような有形物が破損されたようなときにはその額の把握は比較的容易であろうが、本件の如き被害に対する損害額はあたかも慰藉料にも類似する性格を有するものであって、これを「客観的」に把握することは至難であり厳密にいえば不可能である。
従って、当事者が利害対立する立場のもとで真剣に交渉し決定した額は特段の事情なき限り最も客観的なものとして尊重されるべきである。
この当事者の決定額を批判し、否定するには十分な根拠がなければならないはずである。
その認定態度は、両当事者間の合意が成立せず裁判所がその額を定めることを求められた時とは根本的に異るはずである。後者の場合には、裁判所は当事者の立証のある範囲内で控え目な認定をすればそれでいいのであるが、前者の場合は、右に述べたように決して同じではない。
原判決は結局三〇万円を超える部分は不当と認めたのであるが、その根拠は決して十分なものがあるとはいえないのである。
一 本件金額が不当に高額なものとはいえない理由を整理すると次のとおりである。
(1) 本件被害は、工事中は、振動、騒音、塵埃、交通量の増加、完成後は、日照、通風、眺望、のぞき見、交通量の増加等多岐にわたるものであり、ことに完成後の被害は将来半永久的に四六時中持続するものである。
このような被害を上告人らが耐えがたいこととして工事に反対し、やむを得ない時には相当多額の金員を求めても、決して非難に価しないものである。
なお、その額の当否の判断においては、契約当時予定されていた当初計画によるマンション建設が前提となることはいうまでもない。
(2) その具体的額の当否については、当然のことながら明瞭な基準があるわけではないので、当事者間の真摯な交渉により決定された額は、最大限尊重されねばならない。
ところで、この種の事案に対する裁判所の先例は、二〇万円ないし一〇〇万円程度のものが多いようであるが、この額は低きに失するとの批判を受けており、また近時新聞に報道された例でも眺望だけで二〇〇万円の賠償を認めた例もある(甲第一三号証)。
また、甲第一一号証によれば、巨大マンション建設による被害は、地価の二〇%とみるとの考え方も示されている。
そして、本件交渉の持たれた昭和四八年当時は、不動産が天井知らずの価額上昇を続けていた時期であり、この種の金額(もちろん損害賠償の前払であるが)も当然高額となっていた時期であり、本件程度の金員は支払側の工事の規模等からしても何ら不思議ではない。
原判決は、支払者側が多額の投資をして工事を急いでいたことをもって、本件金員に損害賠償とは別の性質の金員を含むとする根拠の事情の一つと考えているようであるが、この考え方も誤っている。
一般に損害賠償額の算定にあたっては、両当事者間の一切の事情が斟酌されるのは当然であって、本件の如き場合、支払側(加害者側)の一つとしてその事業の規模やその円滑な進行によって得るであろう利益が考慮されることはいうまでもない。
このことは交通事故による慰藉料算定につき、常にいわれていることでもある。
(3) もう一つ、本件の如き金買の多寡を論じるに当り忘れてならないのは、侵害される利益(-本件では広くいえば環境権-)に対する法的、社会的な保護の程度である。
近時いわゆる四大公害裁判に象徴されるように、自然環境の価値が大きくクローズアッブされ、法的にも社会的にもその保護が著しく強化された。
本件の如き巨大マンション等も、昔は建築基準法程度の規制を満たせばほぼ自由に建設できたのが、いわゆる環境保護の立場から、法的な規制にとどまらず各地方自治体等の行政指導等もあって、周辺住民を無視した開発は事実上困難な情勢にある。
いいかえれば、社会の進歩により環境の価値が著しく見直されたのであって、そのような保護を受ける環境の侵害に対する補償が高額になることは自明のことであり、それだからといって、その性格がかわることは決してないのである。
第三 結論
被上告人が、本件の如き金員にまで敢えて課税しようとするのは、上告人らが、本件金員の受領により何か利得したと考えているからであろう。
しかし、やっと手に入れた静かなマイホームの真横に本件のような巨大マンションが建つについて、三〇万円もらえばそれでよいとするのが一般常識人の考え方であろうか。
三一〇万円もらえば「もうけた」というのが一般人の考え方であろうか。
本件の話を聞いた第三者は、自分の家にもそういうことがあって金が入ればいいと思うのが普通であろうか。
裁判官、あなたは自分のこととしてそう思われるだろうか。
現今の社会通念は、決してそのようなものではない。環境の価値はもっと高く評価されているのである。
要するに原判決の考え方は、本件程度のことなら、普通の人なら三〇万円もらえば満足し、それ以上もらえばその分だけ利得したと認識するに違いないと決めつけているのであって、社会通念上到底容認できるものではない。
上告人が法廷で証言したように三一〇万円もらうよりマンションが建たない方がいいというのは、決して方便でも何でもない。
多くの常識人にとって、同意できる発言なのである。
どうか裁判官におかれましては、このようなささやかな補償金をも利得としかみられないような視野の狭い課税庁の見解にひきづられないよう切に願うものである。
以上